語学ができることと文化を理解することは必ずしも一致しない

一般的に日本人は英語が苦手と言われ、幼少期から英語を一生懸命学ばせる親、国内で英語だけで卒業できるカリキュラムを組む学校、いろいろありますが、日本に生活するならやはり、日本語ができるということが大前提の話。言葉は文化を濃縮するものなので、日本人で日本語ができないと、社会的にコミュニケーションは非常に難しくなります。

一方、日本語はできないのだけど、日本に何度かきたことがあり日本の文化が好きという、アメリカ人の建築家の方がいて、彼は年に一度のクリスマスカードにいつも日本の言葉を紹介します。もう15年ほど前になりますが、初めて彼からもらったカードにあったのが`生きがい(ikigai)`という言葉。日本語的な生きがいの意味は、本来生きる喜びや、張り合い、人生に価値を感じさせてくれるものだと思います。日本人が長生きする秘訣を聞かれた時に、引用されることことも多くあるその言葉が英語にないというのも当時知らなかったのですがリタイヤしてからの人生も長くなった今、金銭の授受があるかないかは別として、それが自分にとっても社会にとってもwin-winになるであろう生きがいを持つことは、何かから何かを搾取するわけではなく、互いに与え合う文化として重みを増すのかもしれません。

もう一人のヨーロッパの友人が紹介してくれた言葉は、`木漏れ日` この言葉も英語に訳せない言葉だそうで、言われてみれば空気の揺らぎを感じる言葉です。この空気が揺らぐ、という感覚は気という文化を理解しないところではまさに難しいのかもしれません。気はよくエネルギーと言われますが、日本語には`気`がつく言葉がたくさんあります。元気、天気、陽気、気になる、気が利く、気がする等、どれも見えないエネルギーを感じられるか、ということに行き着きます。中国人が日本語を習得するのが早いのはやはり、この漢字の意味を説明しなくても理解できるという点が大きいでしょうね、最もだからと言って、その日本にある気をどのように翻訳するのかというのは別の話ですが。。

言葉ができないと文化は、学べないけど、言葉ができたからといって文化が理解できるかと言ったらそうでもないのでこれが難しいところ。

松の木にぶら下がる小さな扇子の形をしたお守りが飾られた風景

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